【Learning Base #32 開催レポート】 AL×未来スタイル2025:止まらないテクノロジーと揺らぐ教育の前提

デジタルハリウッド大学 教授・学長補佐、一般社団法人 教育イノベーション協議会 代表理事
内閣官房教育再生実行会議の技術革新WG委員や経産省「未来の教室とEdTech研究会」座長代理など、数々の委員を歴任。EdTech実践や政策提言の両面から教育変革をリードする第一人者。
Learning Base AL×未来スタイル2025、シリーズ4回の最終回となる今回は、テクノロジーが教育に与えるインパクトに改めて焦点を当てる回となりました。インタビュー形式で対話をすすめ、モデレーター渡邊壽美子さんとゲストの佐藤昌宏氏。研究室時代から師弟である二人の掛け合いが、聴衆を「思考実験の現場」へと招き入れました。
モデレーター渡邊壽美子
教育変革の旗手・佐藤昌宏氏が語る、テクノロジーと人間の接点
今回のゲストは、デジタルハリウッド大学大学院 教授・学長補佐であり、一般社団法人 教育イノベーション協議会の代表理事も務める佐藤昌宏氏です。経産省や内閣官房などの政策委員を歴任し、教育の現場と制度をつなぎ続けてきた実践者であり、EdTechの実装と政策の両輪で20年以上にわたり教育を牽引してきた佐藤氏は、「未来の教育」を語る資格を持つ、まさに第一人者と言えるでしょう。
ギガスクール構想の背景──日本はなぜ“課題先進国”となったのか
2019年に始動したギガスクール構想は、日本が「1人1台端末」を掲げて一気に教育デジタル化に踏み出す転換点でした。形式上は文科省の政策でしたが、実質的な起点は1年前に経産省が設置した「未来の教室とEdTech研究会」にあります。そこでは国際的な動向を踏まえ、EdTechを活用した「学びの個人化」が提起されていました。
財源面でも異例のスケールが動きました。補正予算2,300億円に加え、地方交付税や地方債を活用して総額6,000億円が学校現場に投下され、全国の教室に端末が一気に配備されました。
しかしそれは、“設備先進国”としての第一歩にすぎません。本質的な問いは、その端末をどう活用するかということです。現在、焦点は「学習ログの横串標準化」と「データドリブンな個別最適化学習」の実装に移りつつあります。学びの履歴を家庭・学校・塾と横断的に共有し、一人ひとりに最適化された教育体験を構築するというビジョンです。
これは単なるツール導入ではなく、教育という社会システムの再設計を意味します。つまり、日本は「遅れていた国」ではなく、「先に課題と向き合わざるを得なかった国」——すなわち“課題先進国”というポジションに立っているのです。技術と実践のギャップをどう埋めるか、それこそが今、私たちに課された最大の問いなのです。こうした状況は、課題の先進性という意味で「課題先進国」とも言えるものであり、テクノロジーの進化と教育実践とのギャップをどう埋めるかが、現在の私たちに突きつけられた問いとなっています。
テクノロジーの中立性と、それを扱う人間の責任
AIをはじめとする教育テクノロジーは、日々進化し続けています。授業設計、指導案、業務支援──生成AIはすでに教職のあらゆる場面に入り込み、その利便性や効率性は目覚ましいものがあります。しかし、光が差すところには必ず影も生まれます。
技術そのものには善悪がなく、テクノロジーは常に中立的な存在であるということが繰り返し強調されていました。どう使われるかによって意味づけが変わる以上、その責任は人間側にあるという視点です。便利で効率的なツールである一方で、私たちの思考を奪ってしまう危うさも同時に含んでいます。だからこそ、ただ使いこなすだけではなく、自ら問いを持ち続けながら向き合う姿勢が、これからの時代にますます重要になっていきます。
加速する技術の現実──軍事AIが示す未来の輪郭
特に印象的だったのは、今アメリカで最も株価を伸ばしている企業の一つとして紹介された、軍事AI企業「Palantir」の事例です。この企業は、自然言語のプロンプトによって敵の分析や作戦立案ができる戦術AIを実装しており、それは日常で使われる生成AIとほぼ同じ操作感で実行されてしまうといいます。
AIによる戦争の効率化が現実のものになりつつある今、技術の進化を止めることはもはや不可能です。それゆえに、人間の判断力と倫理観がかつてないほど問われています。たとえば、無人自動車の実装は着実に進みつつあります。自動運転車が事故回避の際に「命を選ぶ」という、いわゆる「トロッコ問題」的な倫理判断をAIに委ねる場面が、すでに現実の設計課題として迫っています。こうした状況を象徴するのが、MITが実施した「Moral Machine」プロジェクトです。
これは、世界中の人々にさまざまな事故シナリオを提示し、誰を救うべきかという選択を迫るものです。どのような価値観をAIに組み込むのかという問いには、いまだ明確な社会的合意や普遍的な倫理原則が存在せず、技術だけが先に進んでいるという実感が会場にも共有されていました。そのスピードは想定を上回るほど加速しており、制度や倫理、文化的準備が追いつかないまま、新たな選択と判断が現場に求められているのです。
道具としてのAIと人間の進化──身体性と慣れの間で
技術の進化に伴い、道具が人間の身体や脳に近づいてきています。たとえば「目」の機能拡張としてメガネやコンタクトレンズ、レーシックが一般化し、さらにはマイクロチップを体内に埋め込むことで決済や身分証明ができる時代が訪れています。こうした機能拡張を社会が何を基準に許容していくのか。その判断基準は、生理的な快・不快だけでなく、倫理観や文化的背景、制度との関係などによって変化していくものであり、現在の社会的合意が未来永劫変わらないとは限りません。今は異質とされているものが、やがて当たり前になる可能性もあるのです。
AIが「脳の拡張機能」となるとき、それは人類にとって新しい種類の道具になります。道具を使うことが人類の本質であるならば、それをどのように使い、どこまで許容するのかは、個人と社会全体の哲学的問題になります。
教育を動かす“三点セット”と、問い続ける信念
教育のデジタル化をリードしてきた佐藤氏が、国策レベルでまず最優先に取り組んできたのが、
①1人1台端末の環境整備
②学習ログの横串標準化
③データドリブンな個別最適化学習
という“三点セット”でした。これは教育のインフラを整えるだけでなく、個別最適な学びの実現に向けた大きなステップとして位置づけられています。
ただし、この推進の裏側には、「AIが子どもたちの思考力を奪うのではないか」という根強い社会的懸念が存在します。佐藤氏はこの問いに真正面から向き合い、リテラシー教育と倫理教育の両立が必要だと語ってきました。具体的には、AI活用には必ずリテラシー教育をセットで導入すること、そしてSTEAM教育の“A”であるリベラルアーツを通じて倫理や哲学的思考を育むこと。この“二兎を追う”方針が、彼の一貫したスタンスであり信念でした。
揺らいだ信念──新世代の登場が突きつけた問い
そんな佐藤氏のスタンスに揺らぎを与えたのが、生成AIスタートアップを率いる28歳の起業家アレクサンダー・ワン氏の発言でした。彼は「ニューラリンク(ブレイン・コンピュータ・インターフェース、BCI)が実用化するまで、子どもを持つのは待ちたい」と語り、AIに脳を直結させることで“スーパーサイヤ人”のような学習力を手に入れる未来を当然の前提として語ったのです。
ワン氏の語り口は、AIと人間の進化速度のギャップを「人間の方が追いつくべき」としたうえで、BCIを前提とした未来社会の設計を合理的に推進するものでした。その姿勢に触れたとき、佐藤氏は「人類が教育や倫理によって追いついていく」という従来の前提が通用しないかもしれないという衝撃を受けたと語っています。最先端の進化を遂げる一部の層と、そうではない大多数の人間との間に、逆に新たな格差や不安が生まれるのではないかという不安。そして、今まで描いてきた“教育を通じたアップデート”というモデルそのものの再設計が求められる可能性。それが、彼の語る“モヤモヤ”としたものでした。
Brandon K. Hill氏 翻訳
私たちへの問い──「プロトピア」を更新できるか
最後に示されたのは、ユートピア/ディストピアという二項対立ではなく、「昨日より少しだけ良い今日」を積み重ねる“プロトピア”的進化という思想です。急速に進化する技術にただ対応するのではなく、共に進化する社会の在り方を設計していく必要があるのではないか。たとえば、BCIやAIを前提とした倫理フレームの再構築、誰もが“学び直し続ける”ための基盤整備、そして身体性に根ざしたウェルビーイングの再定義。
佐藤氏の“モヤモヤ”は、単なる戸惑いではなく、「次の設計図を描き直すための揺らぎ」かもしれません。私たちもまた、この揺らぎを共有しながら、プロトピア的な問いを更新し続ける必要があるのではないでしょうか。
【清宮普美代 協会代表コメント】
今回の話は、頭で理解するというより、むしろ身体の奥に響くような感覚をともなって迫ってきました。まるで知っているようでいて、実はまったく知らなかった世界。
ドラえもんのポケットから未来の道具が出てきても驚かない私たちは、ある意味、AI時代の“予習”を済ませていたとも言えるかもしれません。攻殻機動隊の電脳社会も、メーテルが導いた“機械の体”も、フィクションの中で親しみ育んできたはずなのに、それが現実として目の前に姿を現しはじめたとき、不意に立ちくらむような眩暈を覚えました。リアルに触れた瞬間、物語だったはずの風景が、自分自身の選択や倫理を問うてくる──その揺らぎに、深く酔わされた気がします。
佐藤先生の語る“プロトピア”は、その揺らぎの中で私たちが次の設計図を描くための、思考と感性の実験場なのだと思います。テクノロジーは問いを生み出す道具です。そしてその問いに意味を与えるのは、メーテルの眼差しや、のび太の選択、草薙素子の“境界の消失”を読み解いてきた、私たち日本人の物語的想像力なのかもしれません。
今、問われているのは「AIをどう活用するか」だけではなく、「どのような物語を私たちは生きるのか」、そして、「私たちにとっての学びとはなにか」という。もっと根源的な問いなのではないかと思いました。

株式会社ラーニングデザインセンター 代表
東京女子大学文理学部心理学科卒。ジョージワシントン大学大学院人材開発学修士(MA in HRD)取得。大学卒業後、株式会社毎日コミュニケーションズ(現 株式会社マイナビ)にて事業企画や人事調査など数々の新規プロジェクト従事後、渡米。日本組織へのアクションラーニング(AL)導入について調査や研究を重ねる。外資系金融機関の人事責任者、社長室長を経て、株式会社ラーニングデザインセンターを設立。国内唯一となるALコーチ養成講座を開始。日本人として初めて、マスターアクションラーニングコーチに就任。育成したコーチは1000名を超える。現在は企業への人材育成・組織開発に携わるとともに教育のフィールドでのアクションラーニング普及にも精力的に活動している。