LearningBaseレポート 「シンギュラリティ時代の学習支援──“好きを極める”から始まる未来の教育」
“学び”の意味付けを展開してヒト・組織・社会をアップデートするためのオンラインサロン”Learning Base”。
2025年のテーマは「 AL×未来スタイル ー共につくるー学びと社会の可能性ー」。3月25日は笹埜 健斗(ささの けんと)氏をお迎えして、私たちが未来社会の当事者として主体的に行動し、新たな社会や学習スタイルを共に創造していくためのヒントを探究しました。

教育情報学者。専門は「AIを活用した個別最適な学習体験デザイン」。日本教育DX推進協会会長。高校時代、生死の境を彷徨い、哲学に目覚める。その後、国際哲学オリンピック日本代表、京都大学法学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修了を経て、慶應義塾大学SFC研究所上席所員。人間の知能を超える人工知能が現れる可能性と、その社会的・倫理的影響を解明する最先端の学際的分野である「シンギュラリティ学」の提唱者。
未来は、すでに始まっている
AIが人間の知性を凌駕し始める「シンギュラリティ」の時代。私たちは、教育という営みをもはや「知識の受け渡し」としては語れなくなりました。この時代、教育の焦点は「何を知っているか」ではなく、「何を問い、何を創るか」へと大きくシフトしています。いま、教育は過去の延長線上にはありません。技術の進化、社会の複雑化、そして価値観の多様化。それらが一気に押し寄せる“時代”において、子どもたちに求められる力は根本から変わろうとしています。
そんな時代の潮流の中で、ただ“変化に対応する”のではなく、“変化をデザインする”教育実践者である笹埜健斗氏。哲学を軸に据えながら、生成AIを駆使し、教育DXを現場に実装していく彼の姿は、教育の未来図を先回りして生きている存在とも言えるでしょう。
好きを極める──それが未来の教育の起点になる
「好きを極める」。この言葉に、笹埜氏の教育観の本質が込められています。
彼は、生徒や教師が自分の“好き”を手がかりに、深く、長く、自由に学ぶ環境こそが、シンギュラリティ時代にふさわしい教育の原型だと語ります。
この信念を、笹埜氏は言葉ではなく実装で示しています。
FRATCサイクル理論──探究を“自走”させる学びのエンジン
教育実践のベースには、笹埜氏が提唱する「FRATCサイクル理論」があります。これは、学びのプロセスを以下の5つのステップに整理し、それをらせん状に繰り返すことで学びを深めていくフレームです:
- Find(見つける力):課題を発見する
- Receive(受け取る力):情報を素直に受け取り、解釈する
- Analyze & Think(考える力):分析し、問いを深める
- Communicate(伝える力/つながる力):発信・共有する
- Act with AMBITIOUS(より良くなろうとする力):変化を起こす行動へとつなげる
この理論は、「いきなり計画(Plan)に入るのではなく、まずは“受け取る・考える・伝える”というプロセスを丁寧に回すこと」が、変化に強い学びを生むという発想から生まれています。
まさに、次にご紹介する瀬戸高校での実践は、このサイクルが随所に反映されています。
瀬戸高校での教育DX:現場からの挑戦
岡山県立瀬戸高校で展開されている数々のプロジェクトは、まさに「教育×テクノロジー×哲学」の実践例として注目を集めています。
AIと知識構成型ジグソー法で「知の再構築」
生成AIとジグソー法を掛け合わせ、ベクトル・関数・確率を使って生成AIの仕組みを探究。生徒はそれぞれの専門分野を深め、教え合うことで“教室の知”を再構築していきました。
探究×ゲーム化で、学びを“熱狂”へ
ChatGPTとKahoot!を組み合わせ、小テストを“クイズバトル”に変換。さらに、生徒自らが問題を作る「作問委員会」を組織し、自走する学びが教室に根付くようになりました。
個別最適化学習の実現
面接対策、小論文添削、進路支援にAIを導入。個々の理解度や志望に合わせたアダプティブラーニングが実現され、総合型選抜・学校推薦型選抜の進学実績は約2倍に、全体の進学実績数は4倍に増加。
自己効力感の芽生え
生徒たちは学びを“成果”として社会に発信するようになり、「自分にも社会を動かす力がある」と実感。この社会変革への自己効力感と自己有能感の向上こそが、教育DXの真の成果と言えるでしょう。
生成AI甲子園──全国規模の教育実装イベントへ
瀬戸高校での実践をさらに広げる形で、笹埜氏が立ち上げたのが「生成AI甲子園」です。
これは、高校生たちが生成AIを活用して課題解決型の探究やクイズ大会に挑む全国規模の教育イベント。単なる発表会ではなく、生徒がAIと共に学び、競い、創る場です。
イベントの狙いと意義
- 生成AIを“使う力”の育成:AIは目的ではなく手段。その本質的な使い方を学ぶ
- チームによる課題解決型学習:協働・対話・アウトプットを通して深い学びを促進
- “好き”を発信する場:探究の成果を外に出すことで、自信と自己効力感を育む
2024年には岡山で開催され、2025年度は大阪・東京と順次拡大。大手企業がスポンサーにつき、1,000万円規模のイベントとして成長し続けています。
このイベントが示しているのは、「生成AIが当たり前になる社会」において、教育が何を優先すべきかという問いそのものです。
哲学チャットボットのワーク──問いを育てるAIを“試してみる”
笹埜氏のセッション最後では、生成AIチャットボットを実際に体験できるワークのデモが行われました。これは、技術と哲学を組み合わせた、思考支援型ツールの可能性を探る試みです。
「4人の哲学者モデル」を使ったデモンストレーション
あらかじめ笹埜氏が設計したプロンプトにより、チャットボットは4つの哲学的視点(例:功利主義・義務論・実存主義・歴史主義など)からテーマに応じた問い返しを行う構成になっています。
たとえば、入力された「少子高齢化」に対しては:
- 「人口減少は本当に悪なのか?」
- 「個人の自由と社会的責任はどこで線引きされるべきか?」
- 「“家族”という概念自体が変化しているのではないか?」
といった多面的な視点を提示し、思考を深めるきっかけを提供します。
実践的な活用に向けたアドバイスも
このチャットボットは、教師自身がプロンプトを自由に編集し、自校の生徒や探究テーマに合わせてカスタマイズ可能です。
笹埜氏は「哲学モデルに基づいた問いの構造は共通でも、実際の運用では学校文化や生徒の傾向に応じた調整が必要」と述べ、“作り変えることが前提”のAI教材として使う柔軟さを強調していました。加えて、先生自身が問いを投げかける際の補助ツールとして活用したり、生徒に“自分の思考スタイル”を自覚させるメタ認知の支援にも使えるとのこと。このチャットボットは「完成された教材」ではなく、“問いを一緒に作っていくプロセスそのもの”を共有するためのものとして設計されています。生成AIを教師と生徒の共通言語として使うことで、探究学習の心理的ハードルを下げ、より深い内省や対話へ導く手がかりとなる――まさに「思考の伴走者」としての生成AIの未来を感じさせる時間でした。
教育的意味
- 学習の“出発点”を自分の問いから始められる
- 教師のファシリテーションを支援
- 生徒の発話の“ハードル”を下げ、心理的安全性を高める
これは、生成AIを“情報提供ツール”ではなく、“思考の伴走者”として位置づける取り組みといえます。
シンギュラリティは敵ではない
それは、教育の目的を問い直す機会です。
「正解のある問いに答える力」から
「正解のない問いを立て続ける力」へ。
笹埜氏の取り組みは、まさにこのパラダイムシフトの最前線にあります。生成AIを通して、ともに育ち、好きを極める学びの場を全国に広げていく――それが、彼が示す教育の未来像なのです。
教育の目的は、変化のない社会に適応する“型にはまった人材”を育てることではありません。むしろ、変化そのものを引き起こす“問いを持った市民”を育てること。
笹埜氏の言葉を借りれば、
「AIは人間の幸福をともに探す“最高の幸せ発明家”になりうる」
それは、人間が“好きを極める”道を進みながら、技術と手を取り合って未来を築いていく、物語がすでにはじまっています。
日本アクションラーニング協会 代表 清宮普美代コメント
笹埜健斗さんのような、天才と言っていい若き研究者が、現場で真正面から教育DXに取り組んでいる姿に、大きな感動と、光を感じました。彼の実践は、AIという技術の“先”を見据えています。
シンギュラリティの時代、知識はAIが持つものになります。だからこそ、私たち人間に残された本当の力は、「どんな問いを立てるのか」という意志の力だと思うのです。
笹埜さんは、その“問い”を、子どもたちの“好き”という原点から立ち上がらせようとしています。哲学もAIも、そのための道具。つまり教育とは、子どもが自分の言葉で世界に関わっていくことを支える営みなのだと、改めて教えられました。
教室が「正解を覚える場」から「問いに向き合う実験場」へと変わるとき、未来は静かに動き出します。AIがあらゆる知識を持つ時代、もっとも価値を持つのは「どんな問いを立てるか」です。
そして笹埜さんは、それを子どもたちが自分の“好き”から出発して生み出せるようにデザインしています。哲学もAIも、そのための“道具”にすぎません。重要なのは、自分の言葉で世界に関わろうとする意志だなぁと改めておもいました。

株式会社ラーニングデザインセンター 代表
東京女子大学文理学部心理学科卒。ジョージワシントン大学大学院人材開発学修士(MA in HRD)取得。大学卒業後、株式会社毎日コミュニケーションズ(現 株式会社マイナビ)にて事業企画や人事調査など数々の新規プロジェクト従事後、渡米。日本組織へのアクションラーニング(AL)導入について調査や研究を重ねる。外資系金融機関の人事責任者、社長室長を経て、株式会社ラーニングデザインセンターを設立。国内唯一となるALコーチ養成講座を開始。日本人として初めて、マスターアクションラーニングコーチに就任。育成したコーチは1000名を超える。現在は企業への人材育成・組織開発に携わるとともに教育のフィールドでのアクションラーニング普及にも精力的に活動している。